小さいころから私の周りには、かなり性格のキツイ友人が多かった。
遠い昔の小学生の頃に遡ってみても、記憶の中で一番古い友人はかなり性格がキツく、自分の意見を通さないと気が済まない人だった。
一番強く印象に残っている出来事は、その子が当時気に入っていた遊具で私が一日だけ遊ばなかったことをきっかけに数週間に渡って無視をされたこと。無視をされている間、何度も謝りに行き「これからは毎日あの遊具を使って遊ぶこと」を条件に仲直りしてもらえたのを覚えている。
今になってみれば、わざわざ謝りになんていかずに一人で遊べばよかったじゃないかと思えるが、当時の自分にとってはその子との世界が全てで、かなりショックを受けた出来事だった。
中学や高校に上がってからも同じようなタイプの友人に好かれ、周りには自己主張が強いタイプの人間が集まった。どこに行きたい、あれをしたい、とにかく全て自分の意見を通す。こちらが難色を示すようだと明らかに不機嫌になる子もいた。
もちろん一緒にいて楽しい瞬間や涙が出るほど大笑いした記憶もある。感謝している部分もたくさんある。
しかし、私は学生時代の大半をその子たちと過ごすことで、かなり精神をすり減らしていた。
ところが、大学に入ってから私の人間関係に変化が訪れた。
相手の意見を尊重してくれる友人に出会い、今まで抱えていた人間関係のストレスが激減した。そして何より気づいたことが、私も自分の意見が素直に言えるようになったのである。
もちろん大学以降も、自分の意見を押し通すような”自己主張モンスター”に出会ったこともあった。しかし、自己主張モンスターではない友人との出会いをきっかけに私はあることに気が付いたのである。
友人をモンスター化させてしまったのは自分だったのではないか?
思い返してみると、大学以前の私はとにかく”イエスマン”だった。
相手の意見を否定せず、全肯定する。とにかく相手を褒めまくり、相手が勧めてきたものは好き嫌いなく試し、一緒にハマったフリをしていた。
当時の私は、そうすれば相手に好いてもらえると思っていた。相手に尽くせば尽くすほど、それが返ってくると思っていた。
でも実際は違った。
それをすることで友人たちは「この子は私を受け入れてくれる」「この子は私を裏切らない」と、無意識的に認識するようになり、あるいは、私があまりにも相手を褒めちぎるせいで必要以上の自信をつけさせてしまっていたのかもしれない。
その証拠として、モンスター化した友人たちに共通することは、彼女たちの自己主張は途中から徐々に増長していったという点だ。
出かける際に友人が行きたい場所に毎回合わせていたら、こちらが行きたい場所には全く合わせてくれなくなったり。話をしていてもずっと友人の喋るターンで、私のターンになろうものならすぐさま友人の話に戻されたり。自分の見た目にコンプレックスがあるという友人に貴女は可愛いよと言い続けたら「あの子は私よりブスなのに彼氏がいる」などと突然他人を蔑むような発言をし出したり。
もちろん私のこのイエスマンすぎた言動が全てのきっかけだったとは思わない。本人のもともとの性格やその子を取り巻く環境なども、もちろん大きく関係していたと思っている。
でも、私の行為がきっかけのひとつになっていたのは気のせいではないような気がする。
考えてみればそうだ、突然褒めちぎってくれていた人が突然褒めなくなったら「なぜ?どうして?」となるに決まっている。自分を全肯定してくれていた人が突然首を横に振ったら「今までは肯定してくれていたのに、何がいけないのか?」と思うだろう。彼女たちは何も間違っていない。
私が必要以上に同調し褒めなければ、彼女たちの自己主張はそこまで増長していなかったのかもしれない。
私はこれに気が付いてから、過去の自分の行為を猛省した。
相手を持ち上げすぎる言動は、とても無責任で、思いやりとは真逆の行為だった。
相手を褒めちぎっていたくせに、友人がモンスターになると毎回こちらが限界に達し、フェードアウトをしてしまうということを繰り返していた。その際の友人たちは皆なぜフェードアウトされたのか分からないという反応をしていた。
私はこの経験から、結局自分が一番「人に嫌われたくない」「相手に好かれたい」という思いで相手を褒めそやし、自分を守ろうとしていたことに気が付いた。
相手の意見を聞き、自分の意見も素直に伝え、お互いを尊重しあえる。そんな関係が理想だ。
私はそれ以降、自分の意見を素直に言うようにしている。
行きたい場所があれば提案し、相手と意見が違うと感じたら自分の意見として丁寧にそれを伝える。
それにはもちろん今一緒にいてくれる友人が私の話を聞き、尊重してくれるということが大前提で成り立っていて、必要以上に褒めなくても相手に迎合しなくても、今の友人たちは私を受け入れてくれる。
そのことに心から感謝をしたい。そして私も同じように、友人の話を聞き、正しく受け止め、尊重したい。
こんな当たり前のことに気が付くまで20数年かかってしまった。
改めて「人間関係は鏡」という言葉の意味を思い知った。
もちろん必ずしも鏡ではない場合(相手が意図的に自分をコントロールしようと近づいてきたり、悪意のある嫌がらせをされたり)もあるかもしれないため一概には言えないが、何か人間関係で問題があるときはまず過去の自分の言動を顧みるのが最も近道なのかもしれない。